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名古屋地方裁判所 平成元年(ワ)1925号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

中谷雄二

田原裕之

被告

名古屋市

右代表者市長

西尾武喜

右訴訟代理人弁護士

鈴木匡

大場民男

右両名訴訟復代理人弁護士

鈴木雅雄

堀口久

大場訴訟復代理人弁護士

深井靖博

主文

一  被告は原告に対し、金三〇万一〇〇〇円及びこれに対する昭和六三年九月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、三分し、その二を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、九〇万一〇〇〇円及びこれに対する昭和六三年九月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の設置する養護学校に通学していた原告(心身障害者)が、右養護学校の教諭に体罰を加えられたとして、被告に対し、国家賠償法一条一項(予備的に民法七一五条)に基づき、治療関係費(文書料)及び慰謝料相当額の損害賠償を請求した事案である。

一争いのない事実

1  原告は、昭和四六年四月一二日、甲野太郎(以下「太郎」という。)を父、甲野花子(以下「花子」という。)を母として出生した視力障害(強度の弱視)、中度の精神薄弱、左半身麻痺及びてんかん等の障害を負っている男子であり、昭和六三年九月当時、被告の設置する名古屋市立南養護学校(以下「本件学校」という。)高等部二年に在籍していた。

2(一)  乙山弘(以下「乙山」という。)は、本件学校高等部の教諭であり、昭和六三年九月当時、「職業・家庭」の授業で窯業の指導を担当し、かつ、原告の在籍する高等部二年の学年担任の一人でもあった(本件学校高等部二年は、学年主任一名と学年担任五名の計六名の教諭が担当していた。)。

(二)  原告は、昭和六三年九月二二日、本件学校内で加療約三週間を要する右眼結膜下出血の傷害を負った(以下「本件事故」という。)。

(三)  乙山は、、右同日の午後〇時五〇分ころ、原告の右眼の出血に気付き、本件学校三階から二階に原告を連れて降り、二階廊下において、担任の一人である森田辰也に原告の傷を見せ、その後、学年主任である小出優にもこのことを連絡した。小出は原告の右傷を確認し、養護教諭も職員室で原告を診た。

(四)  小出は、右同日午後一時ころ、原告方に電話連絡をし、花子に対し、原告の右眼の白眼部分が出血しているが、朝家を出るときにも出血があったかどうかを尋ねたところ、花子から、家を出るときには異常がなかった旨、そしていまから学校まで原告を迎えに行く旨の返事を受けた。

(五)  花子は、学校に到着後、小出らに対し、本件事故の原因を尋ねたところ、乙山らから、原因は不明であるが、生徒らは当日レスリングをやっていた旨の回答があった。

3(一)  原告は、本件事故後学校を休んでいたが、九月二六日から登校を再開した。

太郎は、同日の午後に本件学校に赴き、牧野教頭及び小出、乙山、伊藤尚子、河合慶子、佐藤ゆう子の五名の学年担任と面談し、本件事故の原因の調査と今後の事故防止の対策などについて要望した。

(二)  本件学校側は、その後、事故の顛末などを調査検討した結果を学年担任らの名前で文書にまとめてこれを太郎・花子らに交付し(一〇月三日、一〇月三一日)、かつ、電話あるいは原告宅などに赴いて、原告側と話合いを続けたのであるが、本件事故は乙山からの体罰によるものであるとする原告側の主張とこれを否定する本件学校側の主張とが平行線を辿った。

二争点

原告の右眼結膜下出血が乙山の体罰によるものかどうかが中心争点であり、これを裏付ける証拠として原告が提出する〈書証番号略〉(原告本人からの録取書)の信頼性が攻撃防御の焦点である。なお、被告は、その他にも原告の損害額を争っている。

1  原告の主張

(一) (体罰及び受傷)

(1) 乙山は、昭和六三年九月二二日午後〇時四四分ころ、本件学校三階の高等部三年男子用更衣室(別紙学校三階平面図において「高3年CR」と表示された部屋の右側の「準備室」と表示された部屋―以下「準備室」という。)において、原告が午前中の授業で集中力に欠けていたことに苛立って立腹し、原告着用のズボンを後ろから下ろしたり、その右眼を手指で強く押さえる等の体罰を加え、その結果、原告に加療約三週間を要する右眼結膜下出血の傷害を負わせた。

(2) 花子は、右同日午後二時ころ、本件学校で原告の右眼を見た際、その白眼の内側には一〇個くらいの飛び散ったような小さな出血が、また、白眼の外側には飛び散ったような小さな出血と円形ないし直径五ないし七ミリメートル程度の深い出血がそれぞれ認められ、眼瞼も赤く腫れていたので、同日午後二時五〇分ころ、名古屋市南区所在の南生協病院眼科で原告を受診させたところ、右眼結膜下出血との診断を受けた。花子は、当時、従前からよく行われていた生徒間のレスリングによる怪我を心配しており、「今でも(生徒間で)レスリングをやっています。」との乙山の同日の発言から、本件事故はレスリングによるものと考えていた。

(3) しかし、太郎・花子は、九月二五日、原告から乙山により当日体罰を受けたことを聞き、また、一〇月一日、さらに詳しくその際の状況を原告から聞き質し、本件事故の原因が乙山による体罰であることを確信するに至り、一一月一〇日、本件学校側に対し、その旨主張するに至ったものである。

(二) (被告の責任)

(1) 乙山は、被告の公権力の行使にあたる公務員であるところ、その職務を行うについて、故意に原告に体罰を加え、傷害を負わせ、損害を加えたのであるから、被告は国家賠償法一条一項に基づく責任を負担する。

(2) 仮に、乙山の原告に対する体罰が被告の公権力の行使に当たらないとしても、被告は、前記不法行為を行った乙山の使用者として民法七一五条の使用者責任を負担する。

2  被告の反論

(一) 原告は、昭和六三年九月二二日の午前中、外の八名の生徒と共に職業・家庭科の授業を受けた。担当教諭は乙山、五十嵐豊嗣、津金和範の三名であり、授業内容は、粘土と木型を用いてワセリンを塗った木型に粘土を押し込み、めん棒で粘土をならすというものであった。

ところが、原告は、右授業中、集中力に欠け、木型にワセリンを塗ることができず、乙山らから何度注意を受けても、一人で作業を続けようとはしなかった。

(二) 乙山は、原告の中三のときの担任であった五十嵐から、原告は一人で落ち着いてやらせればできると聞き、原告の個別指導を昼休みにすることを決意し、五十嵐、津金の両名にその旨伝えて了解をえた。

(三) 乙山は、右同日午後〇時四五分ころ、原告を連れて本件学校三階の高等部一、二年男女用更衣室(別紙学校三階平面図において「生活訓練室」とも示されている部屋の右側半分部分―以下「生活訓練室」という。)へ行った。ここは無用の刺激がなく作業に集中するのに適した環境だからであった。

乙山は、同生活訓練室において、自分の右手の親指と人差し指で輪を作り、これをワセリンを塗る木型に見立て、左手で原告の右手の人差し指を添えて、ワセリンを塗る動作を個別指導によって教えようと考えたのである。

(四) 乙山は、右生活訓練室において、個別指導を始めるべく、胡座をかいて原告と対座したのであるが、その際、原告の右眼の白眼部分の内側に軽い充血が、外側に二ミリメートル程度の赤い斑点が、それぞれ存在しているのを始めて発見し、原告にどうしたのか尋ねたのであるが、原告は何も答えなかった。そこで乙山は、個別指導を中止して直ちに原告を連れて二階に降りた。

(五) 森田、小出は、二階へ降りてきた原告の傷害の状況を確認した上、直ちに原告を職員室に連れて行き、同室で安井養護教諭に見せ、原告に対し、何度も受傷の原因を尋ねたが、原告の返答はなかった。

第三争点に対する判断

(以下、成立に争いのない書証、原本の存在及び成立に争いのない書証並びに弁論の全趣旨により真正な成立の認められる書証については、いずれもその旨の記載を省略する。)

一原告の供述の信頼性

原告が乙山に体罰を受けたことを認めるに足りる直接証拠は原告録取書(〈書証番号略〉―いずれも原告の供述を録音したものの反訳文書)のみであり、右録取書における原告の供述が果たして信頼することのできるものかどうかが、事実を認定する上で本件における最大の争点であるところ、原・被告は、これについて医師の作成した意見書をそれぞれ書証として提出しているので、まずこれらの意見書の内容を検討し、原告の右供述の信頼性を検討する。

1  〈書証番号略〉及び証人小野宏の証言(以下、これらを「小野意見」と総称する。)によると、小野意見の要旨は以下のとおりである。

(一) 小野宏医師は、原告が満一歳くらいから現在に至るまで診察を受けてきた児童精神医学を専門とする精神神経科の医師である。

(二) 原告は、脳の全体、特にその左側を主に後頭葉にも及ぶ重度の障害を負っており、中程度の精神薄弱(知恵遅れ)、左片麻痺(軽い運動障害)、視力障害(視神経萎縮)及びてんかん症を有しており、視覚によって他人を識別することは困難であるが(相貌失認)、聴覚によって人を識別することは可能である。

また、原告は、直接自分で体験した具体的な事実はよく記憶していて(例えば、記憶した他人の言葉をその口調をまねて話すといった、中程度の精神薄弱者によく見られる癖がある。)、一旦記憶したものを後から変更させるのは困難である反面、他人から自己の体験していない事実を体験した事実のように覚えて話すよう学習させられても、そのような知的な学習自体困難であるのみならず、仮に学習させることができたとしても、原告は話す際に「……と言われた。」というように他人から学習させられたことがわかってしまうような話し方をするので、体験していない事実をまるで自己の体験した事実であるかのように話しをさせることは不可能であり、まして、自ら架空の話を作りだしたり思い込んだりして話すことなどはできない。

(三) 本件については、〈書証番号略〉の反訳の元となった原告の供述を録音したテープを直接聞くと、原告は自己の体験を話しているのであり、乙山による体罰の話は誰かから学習させられたりしたものではないと判断することができる。もっとも、原告の右供述中には質問にスムーズに答えていない箇所も確かにあるが、これは質問の意味が抽象的なために(たとえば、「どういうふうに」とか「○○から○○まで」とか「その後」といった因果関係や時間的な前後関係を尋ねる発問や、「○○したみたいに○○してくれないかな。」といった長く複雑な発問)、答えに詰まったり、一見質問と全く関係のない答えをしたりしているのであって、供述全体を仔細に検討すれば、原告の話の内容は、原告なりの意味でずっとつながっているし、また、他人(乙山)から言われた言葉については口調を明らかに変えて答えていることがわかる。

(四) なお、本件の場合、原告が既に記憶して述べたことの正否こそが問題であるから、「どのくらい記憶するか」という一般的な記憶能力よりも、「何に興味を持つか」によって左右されるところの「何を記憶するか」という点こそが重要であるのであるから、本件において知能テストや言語能力テスト等の参考資料がなくても、原告の供述自体からその記憶の内容の正否を判断することは十分に可能であり、右(三)に述べたようにその供述の内容は文脈として自然なまとまりを作っているのである。したがって、その供述内容は真実であると判断することができる。

2  〈書証番号略〉(〈証拠判断略〉―以下「杉山意見」という。)によると、杉山意見の要旨は以下のとおりである。

(一) 杉山登志郎医師は、名古屋大学医学部精神科の医師であり、本件に関しては、〈書証番号略〉の反訳の元となった録音テープと小野意見中の証人調書をもとにして意見を述べているが、原告自身を診察したり話をしたりしたことはない。

(二) 杉山意見は、名古屋市立南養護学校長からの照会に対し、原告の一般的記憶力を問題とし、その客観的資料(知能テストや言語能力テスト等)が不足しているために原告の一般的記憶力の良・不良を判断することはできないとして、照会の全項目についても明確な回答が困難である旨述べている。

3  〈書証番号略〉(〈証拠判断略〉―以下「石川意見」という。)によると、石川意見の要旨は以下のとおりである。

(一) 石川憲彦医師は、東京大学医学部付属病院の精神神経科の医師であり、〈書証番号略〉の反訳の元となった録音テープ、小野意見並びに杉山意見を資料として、右録音テープにおける原告の供述の信頼性を検討している。

(二) 小野意見は原告との長年の治療関係を共にしてきた臨床家としての見地から自己の経験的事実を踏まえた判断となっているのに対し、杉山意見は定められた質問(照会事項)に対する与えられた資料(〈書証番号略〉と小野意見中の証人調書)からの論理的回答となっており、その見解には一見相反するかのような箇所が存在する。

しかし、精神科で行われる諸テストは、通常の医学的検査ほど厳密性や客観性が確立されておらず、その信頼性に限界があるが、他方、優れた臨床家は、右限界をはるかに越えた深い臨床的観察を行うことにより、より事実に近い判断をすることも可能であるという精神医学の特殊性を考慮すると、判断の中心は面接場面における評価であり、テストはあくまで補助手段に過ぎないということもできるのである。とすれば、小野意見が自己の臨床体験(原告に対する診療)に基づいて客観的なテストなしに判断していることに特に問題はないし、逆に、客観性を有するテストに重きを置く立場から、かかるテスト結果のない本件について、その回答を留保した杉山意見も当然であって、両意見の相違は、結局、録音テープの内容をどう評価するかにおける両医師の慎重さの隔たり(要求する精密度の隔たり)にすぎない。

(三) そこで、石川意見は、右両医師の要求する隔たりを埋め合わせるために別の角度から録音テープの内容を検討した。

まず、録音テープの内容を児童精神医学の臨床的面接場面における分析技法を用いて調査し、原告の会話の特徴を音韻の抑揚、文脈の場面状況における的確さ、論理の一貫性、状況対応の自然さ、感情の起伏の推定等を分析することで、原告の供述がそれぞれ事実とどのような相関関係にあるのかを評価して全体の文脈の信馮性を判断した。

(四) その結果、原告には精神発達遅滞が存在し、抽象的思考は制約を受けるが、具体的思考には独特の正確さがあって、この正確さは具体的事実の長期にわたる正確な記憶の残存によって成立しているとともに、一定の事実の長期記憶も可能とするものであることが判明し、録音テープの内容は補足的なテストがなければ原告の知的能力や記憶能力が判断不能であるほどに資料価値が低いとまではいえないから、杉山意見の要求する精密さは本件の事実関係を知るうえで高度に過ぎると言わざるをえず、小野意見の見解は十分に納得のいく内容である。

また、この録音テープの応答状況からは、誰かが架空の話として乙山による体罰の事実を作りだして原告に毎日話し続けることで、原告において乙山から体罰を受けたという事実があったと信じ込ませた可能性も除外してよいと判断する。

(五) 以上により、原告の供述は信頼するに値する記憶に基づくものであると評価することができる。

4  当裁判所の判断

右1ないし3の各意見の要旨、〈書証番号略〉及び検証の結果(裁判所による〈書証番号略〉の反訳の元となった録音テープの聴取)を総合して検討すると、以下のような判断をすることができる。

(一)  原告の記憶力自体は、被告が主張するように長期間記憶を保存することが困難な程度であるとはいえず、自己の体験に基づく具体的な事実は長期間にわたってその記憶を保存することも十分に可能であるというべきである。

(二)  原告は、時間的な前後関係や因果関係といった抽象的な思考に制約があり、抽象的な質問にはうまく答えることが困難で当該問答だけをみると的外れであったり、あるいは本件における乙山による体罰を否定するかのような回答であったりするが、質問が具体的な事実を問うものであれば、的確に回答しており、特に、乙山から言われた言葉(「ちんちんはやってない。目だけだわ。」)や自己の印象に強く残ったとみられる事実の表現(「ギューッ」)については、全体に抑揚の乏しい話し方の中で際立った抑揚や強調がなされており、このような的確な回答部分は〈書証番号略〉を通じて一貫している。

(三)  学習の可能性(乙山による原告に対する体罰という体験をしない架空の事実を、太郎・花子らによって、あたかも真実体験した事実であるかのように教え込むこと)については、小野意見も石川意見も一致して否定しているし、原告は自己の体験した事実と他人から言われた言葉とを区別して供述していること、本件の発生する前の原告一家と本件学校との関係は、太郎・花子が架空の話を原告に覚え込ませてまで学校側と対決しなければならないほどの関係はなかったこと等からすれば、原告が乙山による体罰という架空の話をあたかも事実であるかのように学習させられたと認めることはできない。

(四)  杉山意見の貴重な判断は、資料の制約や質問の立て方からすれば、学問的厳密さのある良心的な回答ではあるが、本件に即してみると、石川意見の指摘するように資料に対して要求する精度が高度に過ぎると言わざるをえず、その判断をそのまま直ちに採用することはできない。

(五)  確かに〈書証番号略〉においては、原告は、原告訴訟代理人の質問に対しては比較的なめらかに答えるものの、本件学校在籍中親しく指導を受けたはずのかつての担任からの質問に対しては、比較的沈黙が多いなどの疑問もあるものの、前記によれば、小野意見及び石川意見の判断は妥当というべきであるから、〈書証番号略〉の反訳の元となった録音テープにおける原告の供述は信頼することのできる記憶に基づいており、その内容は原告自身の体験に基づくものであると判断することができる。

二認定事実

当事者間に争いのない事実(前示第二、一)、〈書証番号略〉、証人小出優、同乙山弘(第一、二回)、同小野宏、同甲野花子(ただし、一部につき原告法定代理人として尋問)、同甲野太郎の各証言(ただし、証人甲野太郎の証言を除き、いずれも後記不採用部分を除く。)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

1  (当事者及び関係者)

(一) 原告は、昭和四六年四月一二日、太郎を父、花子を母として出生した男子で、昭和五八年四月、本件学校小学部六年に転入学した後、昭和六二年四月から、同校高等部に進学して昭和六三年には高等部二年に在籍しており、視力障害(視神経萎縮による強度の弱視、相貌失認)、中度の精神薄弱(知恵遅れ)、左半身麻痺及びてんかん等の障害を負っている者であるが、本件学校高等部の「職業・家庭」の科目では窯業の班に属していた。

(二) 乙山は、昭和六三年九月当時、本件学校高等部の教諭であり、「職業・家庭」の科目において窯業を担当し、原告の担任の一人であった(本件学校高等部二年は、学年主任一名と学年担任五名の計六名の教諭が担当していた。)

2  (昭和六三年九月二二日の午前中)

昭和六三年九月二二日の午前中、原告は、他の八名の生徒と共に職業・家庭科の窯業の授業を受けた。担当教諭は乙山、五十嵐、津金の三名で、内容はワセリンを塗った木型に粘土を押し込み、めん棒でねん土をならすというものであった。ところが、原告は、右授業中、木型にワセリンを塗ることができず、集中力を欠いていて、乙山らが何度も注意しても、一人で作業を続けようとはしなかった。

この授業の間、原告の右眼に出血とみられる赤い斑点は発見されていないし、原告が家を出るときにもそのようなものはなかった。

3  (三階への移動)

(一) 乙山は、中三のときの原告の担任であった五十嵐から、原告は一人で落ち着いてやらせればできる旨聞き、原告に対する個別指導を午後一時ころまでの昼放課に行う旨を五十嵐、津金に伝えた。乙山は、四月から原告を担当するようになったもので、一学期においても、原告が集中力を欠くとして一対一の指導をしたことはあったが、課外に個別指導をしたことはなかった。

(二) 原告は、午後〇時三〇分ころに昼食を終え、掃除をした後は遊んでいたが、午後〇時四五分ころ、乙山から「ちょっと来なさい。」と声を掛けられ、乙山に連れられて本件学校三階の生活訓練室(当時高等部一、二年用更衣室として使用されていた。)へ行った。

4  (違法行為)

(一)  乙山は、午後〇時四五分ころ、本件学校三階の生活訓練室において、立ったままの姿勢で原告の着用していたズボンを下ろしたり、その右眼(眼瞼)を手指で強く押さえる等の体罰を加え、原告に加療約三週間を要する右眼結膜下出血の傷害を負わせた。

(二) 右体罰によって原告の右眼に出血が生じた(右眼の外側白眼に直径二ミリメートルくらいの大きさの赤い斑点があり、内側白眼は充血していた。)ことに気付いた乙山は、原告を連れて本件学校二階に降りて。担任の一人である森田を廊下に呼び出し、原告の傷を見せ、その後、学年主任である小出にも連絡した。小出は原告の右傷を確認してから職員室で原告を安井養護教諭に見せ、原告に対し、何度も受傷の原因を尋ねたが、原告の返答はなかった。

(三) 小出は、午後一時ころ、電話で花子に連絡を取り、原告の右眼の白眼部分に出血しているのを見つけたが、家を出るときにはそのような出血があったかどうかを尋ねた。花子は、これに対し、家を出るときには原告の右眼には異常がなかった旨返答し、眼科医の診療を求めたのであるが、眼科の校医が診察時間外であるし、本件学校の前の大島病院にも眼科がなかったことから、花子は原告を自分で眼科に連れて行くことにし、本件学校に原告を迎えに行くことにした。

(四) 午後一時四五分ころに本件学校に到着した花子は、右出血の原因を小出らに尋ねたところ、原因は不明であるとの回答であり、また、原告は一年のときに同級生の蔵政貴としばしばプロレスごっこをして怪我をしていたことから、乙山に対し「今でもプロレスをやっていますか。」と尋ねたところ、同人から「最近でもレスリングをやっているようです。」との返事があった。そこで、花子は、本件の怪我もプロレスが原因であろうと思った。

(五) 花子は、午後二時二〇分ころ、原告を南生協病院に連れて行き、眼科で受診したところ、右眼結膜下出血との診断であった。花子は、(四)記載のとおり、原告の傷害の原因はレスリングであると考え、南生協病院でもその旨告げた。

5  (その後の状況)

(一) 原告は、九月二五日夜、入浴の際、太郎から怪我の原因を尋ねられ、初めて「乙山先生がやった。」旨述べ、太郎は直ちに花子にその旨を告げた。

(二) 花子は、翌二六日、登校する原告に付き添って学校に行き、小出に対し、原告がもともと弱視なのに本件学校側が原告の右眼の障害を発見してもすぐに病院に連れていかなかったばかりか、早退した原告の怪我の状態についても全く心配していないなどと抗議した。さらに同日午後、太郎が本件学校へ出向き、牧野教頭及び小出、乙山、伊藤、河合、佐藤の五名の担任と面談し、原告の怪我が学校内の事故によることを認めさせようとし、本件学校側は原因自体は不明であるとしながらも学校内の事故であることは認め、怪我の原因を調査し、併せて今後の事故防止対策を検討した上書面で連絡する旨を約束した。その夜、牧野教頭、小島教務主任及び小出は、菓子折りを持参して原告方を訪問したが、不在のため、菓子折り及び牧野教頭の名刺を置いて帰った。

なお、太郎・花子は、原告の怪我が(一)記載の原告の供述から乙山の体罰によるものと信ずるに至ったが、まだ詳しい事情を原告が話していなかったことと事件があやふやなままに処理されてしまうことを恐れ、本件学校側が原告の怪我の原因を調査して書面で回答してくるまでは、乙山による体罰の事実を明らかにしないこととし、前記面談の際には乙山による体罰の話を持ち出さなかった。

(三) 太郎・花子は、九月二八日の運動会の際、改めて本件学校側に正式な文書による回答を要求した。

(四) 原告は、一〇月一日、花子から本件体罰の状況を聞かれ、前示4(一)に記載の体罰を受けた様子を述べた。

(五) 本件学校側は、一〇月三日、小出外担任一同の作成した文書(〈書証番号略〉)を太郎・花子に交付したが、同人らは、右文書には本件怪我の原因に全くふれていなかったことから、不十分な内容であるとして、再度、本件学校側に対し、本件怪我の原因等について調査した上で文書で回答するよう要求し、前記文書はコピーを取った上、破って本件学校に返還した。

本件学校側は、一〇月中旬、校長と太郎・花子との直接面談を依頼したが、太郎・花子らに拒否された。

(六) 本件学校側は、一〇月三一日、再度小出外担任一同の作成した文書(〈書証番号略〉)を太郎・花子に交付した。

(七) 一一月一、二日に大高緑地公園で宿泊学習が行われたが、太郎・花子は、右宿泊学習には乙山も同行することを知っていたけれども、原告が友人と接する機会を生かしたいとの念から原告には乙山が同行することを伏せて右宿泊学習に参加させた。

(八) 太郎・花子は、一一月一〇日、本件学校の学校長、小出及び担任五名の来訪を受けたのであるが、その際、初めて本件怪我が乙山の体罰によるものであることを指摘したけれども本件学校側はその事実を否定した。

なお、原告は、「職業・家庭」の科目につき、一一月一一日から佐藤ゆう子教諭の紙漉きグループに移動した。

(九) 本件学校側は、一一月一四日、校長が「乙山の事情を聞いたが、やっていないというから、学校側としては体罰の事実はないと考える。」旨を原告方に電話し、本件怪我の原因の調査を打ち切った。

(一〇) 平成元年四月三日、本件の原告の訴訟代理人や本件学校教諭らが原告と乙山の双方から事情を聴取したが、原告が乙山から体罰を受けたことを述べたのに対して、乙山は右体罰を否定し、原・被告双方の主張はあくまで平行線を辿った。

6  (原告の傷害)

(一) 原告は、前記のとおり結膜下出血の傷害を受けたが、右症状は、外的な損傷によらなくても日常的な出血としてよく発症する可能性のある症病であり、結膜そのものには損傷はなかったこと等から、前記南生協病院の担当医は、とりあえず一週間後の来院を指示した。

(二) 原告は、事故の一週間後の九月二九日、再度南生協病院で診療を受けたところ、さらに二週間後の通院を指示されたのであるが、二週間後の一〇月一二日の通院時には既に前記出血は消失していた。

三証拠判断

1  (個別指導)

被告は、乙山において真実原告に対する個別指導を決意し、自分の右手親指と人差し指で輪を作り、これをワセリンを塗る木型の穴に見立て、もう一方の左手で原告の右手の人差し指を添えて、木型の穴の内側にワセリンを塗る動作を行わせようと考えたとし、〈書証番号略〉、証人小出優、同乙山弘(第一回)の各証言中にはこれにそう部分がある。

しかし、小野証言(四七ページ)によれば、中程度の精神薄弱状態にある原告に対し、道具を用いないで、指で作った輪を木型の穴に見立てるような抽象的な指導をすることは必ずしも適切とはいえないことを、また、〈書証番号略〉によれば、乙山自身が過去に行った指導においても「素材と方法を一つづつ理解させて経験を積ませていく」方法を採っていることをそれぞれ認めることができ、これらの事実と右に掲げた証拠を対比すると、右に掲げた証拠を直ちに採用することはできず、前記事実を直ちに認めるに足りない。

2  (体罰以外の原因による受傷の可能性)

被告は、原告の怪我の原因として、蔵政貴とのプロレスごっこや原告自身の転倒等があり得るとし、〈書証番号略〉、証人小出優、同乙山弘(第一回)各証言中にはこれにそう部分がある。

しかし、プロレスの件については、昭和六三年九月二六日、本件学校側(小出学年主任)作成の〈書証番号略〉自体に「直接ケガに結びつくような行為は目撃されていない。」旨記載されていることからしてこれが原告の怪我の原因となった可能性があると直ちに認めることはできないし、原告自身の転倒等についても、南生協病院の担当医に対する照会及び回答である〈書証番号略〉は、抽象的な可能性を指摘するにとどまるものでこれが原告の怪我の原因となったと直ちに認めることはできず、前記事実も認めるに足りない。

3  (体罰の行われた場所、態勢、受傷状況)

(一) 原告は、体罰が加えられたのは三階の準備室であり、これによって原告の右眼の外側白眼には直径五ないし七ミリメートルの出血が生じ、内側白眼にも小さな出血が飛散し、眼瞼の上も腫れ上がっていた旨主張し、〈書証番号略〉、証人甲野花子の証言中にはこれにそう部分がある。

しかし、第一に場所については、原告自身が〈書証番号略〉の供述中で「着替えをするところ」としており、これは原告自身が着替えをした体験によって裏付けられた表現と評価することができ、これによれば前記のとおり高等部一、二年更衣室であった生活訓練室がその場所であると推認され、他方、〈書証番号略〉の場所の特定はいかなる方法で行われたか不明であることからすれば、原告の右主張を直ちに採用することはできず、第二に怪我の状況についても、外側白眼に直径五ないし七ミリメートルもの出血があれば、〈書証番号略〉にも大きさの記載があって然るべきなのに結膜下出血と記載されているにすぎないことからすれば、原告の右主張も認めるに足りない。

(二) 被告は、乙山が生活訓練室内で胡座をかいて原告と対面し、個別指導を始めようとして原告の顔を見たところ、右眼の怪我を発見したとし、〈書証番号略〉、証人小出優、同乙山弘(第一回)各証言中にはこれにそう部分がある。

しかし、〈書証番号略〉によれば、生活訓練室の外にいた前記津金教諭はその扉の窓から乙山の背中を見たことが認められるところ、もし乙山が胡座をかいて座っていれば背中ではなく頭が見えるのが自然であるから、右事実も認めるに足りない。

4  (その後の経緯)

被告は、仮に乙山による体罰が事実であれば、太郎・花子がその事実を知らされた翌日である九月二六日にこのことを学校側に言わないのは不自然であり、また、一一月一、二日に乙山と同宿することになる宿泊学習に原告を参加させるのも不合理であるから、乙山による体罰の事実は存在しないとし、〈書証番号略〉、証人小出優の証言中にはこれにそう部分(九月二二日の後も原告の乙山に対する態度は変わらなかった。)があるが、〈書証番号略〉、証人甲野花子、同甲野太郎の各証言に照らし、採用することができない。

四当裁判所の判断

1  前示二で認定した事実によれば、乙山は、その動機等につき判然としない部分はあるものの(午前中に集中力を欠いていた原告に対し立腹したものではないかと推認される。)、被告の職員としてその職務を行うについての公権力の行使に当たり、故意に原告に体罰を加えて傷害を負わせたことを認めるのが相当である。

そうすると、被告は原告に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負担する。

2  (損害)

(一) 治療関係費(請求も同額)

一〇〇〇円

〈書証番号略〉によると、原告は、前示二4記載の傷害の治療のため、南生協病院眼科に昭和六三年九月二二日から約三週間通院して治療を受け、同年一〇月一九日、文書料として一〇〇〇円を支払った。

(二) 慰謝料(請求九〇万円)

三〇万円

本件における体罰の動機、態様(視力障害を有する原告の右眼への暴行であり、そのこと自体原告及びその家族に不安を引き起こしたものと解される。)、事件発生後の学校側の対応等本件における一切の事情を斟酌すると、本件によって原告が被った精神的損害は大きいといわねばならないものの、前記のとおり、原告の被った傷害は必ずしも重いものではないこと等を考えると、原告の右苦痛は、本判決により被告の責任が明らかにされることによって、既に相当慰謝されるものとみることができること等考慮するならば、本件での慰謝料額は三〇万円をもって相当と評価する。

第四結論

以上のとおりであるから、原告の請求は、主文一項掲記の限度で理由があるのでこれを認容するが、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を各適用し、仮執行宣言の申立てについては、その必要がないものと認めこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大橋英夫 裁判官北澤章功 裁判官野村朗は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官大橋英夫)

別紙学校三階平面図〈省略〉

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